赤ちゃんはみな同じような感じですが、実は生まれて間もなくからひとりひとり性格というか個性というか特徴というものが出てきます。
大きくなればなるほどさらに自我というものもはっきりとしてくるのが普通です。
そんな感じでさらに大人になるまでには、他の人にはなかなか理解されない「その人なり」が確立されていたりします。
自分以外の人とかかわる時、親だろうが上司だろうが友達だろうが恋人だろうが、かならず「その人なり」と向き合うことになります。
一緒にいて、なんとなくでも理解できるなら結構いいほうで、
「なんでまたそんなことを言うのだろう?」
「どうしてこんなことをするんだろう?」
など、他人の理解しがたい一面にしばしば出会ったりします。
もちろんその人たちのすべてが理解できないことはまれで、「こんな場合のあんなこと」というような、場面や時限定の理解できないことが多いものです。
嫌いな人(好きでない人)を理解できないとしても、別にそれほど悩まないとは思うのですが、好きな人やかかわっていかなくてはならない人の理解しがたい一面を見るとショックで悲しくやるせない気持ちになります。
何とかしてあげたい…理解しがたいと感じショックを受けた人の側がそう思うわけですが、当の本人には、その「何とかしてあげたい」こそが理解しがたいことだったりもするものです。
あなたの当たり前は、誰にとっても当たり前ではないということなんですよね。
永遠のパートナーであっても例外ではありません。
お互いにいろいろな面を見せ合って、初めて気づくことがあります。
それこそ出会って10年目になって初めて知ることもあるものです。
理解しがたい一面を知って…その後さらに絆を深めることができるか、もう嫌だとおもうか。
それには理解しがたい一面を知る前までにどのくらいの絆が生まれていたかということと、理解しがたい一面について知ってからの話し合いができたかにかかっているのだと思います。
誰にでもある、別の誰かから見たときの理解しがたい一面…その人なり。
あなたも、あなたの大好きな人にもきっとある理解しがたい一面。
でもおびえることはありません。
それが二人の絆を試しているのかもしれません。