オーラの泉の最終回で、美輪さんが「泥大根は食べられない」という話をされていました。
「ありのままで愛してなんてとんでもない、泥大根は食べられない。洗って、切って料理して初めて食べられるんです」
そうおっしゃっていました。
「ありのままで愛してなんてとんでもない」
ここだけを聞いてしまうと、多くの女性は「やはり…」と思い、間違った思い込みに走ってしまうんじゃないかなと思いました。
私の言うありのままと美輪さんのおっしゃるありのまま、似ているけど違います。
多くの女性は自分が大根(これ美輪さんの例えをそのまま使いました)であることを嘆き悲しむのです。
男性の好きなステーキ(もちろんこれも例えです)ではないと悩むのです。
大根であることを恥、なんとかステーキになろうと努力します。
でもステーキにはなりません。
なぜならそもそも違うものだからです。
多くの女性はステーキに変わらなければ愛されないと思い込みます。
そして絶対にありえないステーキになる方法を探そうと必死になります。
大根がステーキを真似しても、本物のステーキとは違います。
その違いばかりを気にし、また嘆き悲しむのです。
泥大根なら、洗ってみたらきれいになるかなぁ?と洗ってみるのはとってもいいと思います。
それはありのままの大根である自分を認めない人にはできません。
そしてこのままでは食べにくそうだなぁと思えば、切ったり、おろしたりすることを試してみるのもいいでしょう。
さらに料理して味付けして、大根をおいしく食べてもらう方法を用意すれば、むしろステーキよりも飽きられず、何歳になってもずっとずっとおいしいと思ってもらえるんです。
泥大根をそのまま食べろというのは、私の言うありのままではありません。
自分とは全く違うものになれないことを嘆き悲しむことをやめ、今の自分の持ち味を生かして、ストレスにならない程度に楽しみながらセンスアップすることが私の考えるありのまま愛される方法。
美輪さんと私の考えは同じだと思います。
でも表現が少し違ったことで誤解された方がいらっしゃるかもしれないと思ってこの話をしました。