「とっても傷ついていたんです…」
傷ついた人がいるということは傷つけた人がいるはずです。
でも傷つけた人は傷つけたことに気づいていないことがあります。
「彼女は傷ついていましたよ…」
「え??ほんとですか??彼女は笑っていましたよ??だってジョーダンを言ってただけですから…」
「彼女はやめてほしいと言っていませんでしたか?」
「ええ、確かに笑いながら「やめてぇー(^^」と言ってましたけどぉ」
「それ、本当に彼女が心から思っていた《やめて》だったんですよ」
「ほんとですか?だって怒っていなかったし笑っていたからつい私たちもどんどん言葉を重ねてしまって…」
「彼女が傷ついていたとしたらどう思います?」
「傷つけるつもりなんかなかったです」
「ええ、そのつもりがなかったことはわかっています(^^ でも結果傷ついていたとしたら?」
「傷つていると思ったら、言わないです。だって本当に軽いジョーダンのつもりで、彼女のことが嫌いとか、意地悪したいとか思っていたのではないのですから…」
傷ついている人がいるのに、傷つけた人がいないということがあります。
傷つけられた人からすれば、傷つけた人がいるのですが、自分自身で傷つけよう、傷つくだろうと思っていない場合があります。
どのように反応していいのか分からずにした困った表情が、相手から「笑顔」と受け取られてしまっている場合は少なくありません。
「やめて」と言葉にしても、その声がはっきりとした強い調子でなければ、「笑顔」の印象から、大した意味を持たないように誤解されてしまう場合もあるのです。
傷つけたことに気づかない…だからまた傷つけてしまう。
こんな悪循環に陥っている場合もあります。
人が複数いる時、まったく同じ考えや感じ方で物事をとらえているのではありません。
言葉一つ、態度一つでも、人により全く違う受け取り方があります。
これだから、「他の人は何を考えているのかわからない、コミュニケーションは難しい」と思われるのかもしれません。
何を考えているのかはっきりと理解できることは稀です。
実際はその必要はあまりありません。
いろいろなひとがいろいろな考えや感じ方をすることだけ忘れなければいいのです。
ただそれだけのことです。
ジョーダンを言うなというのではありません。
誰かをネタにするようなジョーダンは言わないほうが安心です。
ジョーダンはみんなが楽しくなるものでなければいけません。
ジョーダンはその場を楽しくする大切な要素です。
だから上手に使いましょう。